○岐阜県ゆかりの先駆者たち
第13回
近代植物学と化学の先駆け
宇田川榕庵(うだがわようあん)
1798-1846(寛政10年-弘化3年)
幕末の日本で植物学と化学をいち早く紹介した人が宇田川榕庵です。
榕庵は、1798年、大垣藩医江沢養樹の長男に生まれました。
1811年に、津山藩医宇田川玄真の養子となります。宇田川家は当時における蘭学の中心的存在の一つでした。
榕庵は、まず漢方医学や本草学を学び、やがてオランダ語や蘭学を学びます。
1826年には、オランダ語の百科全書の翻訳に参加しました。この書物は結局出版されませんでしたが、18世紀中頃のヨーロッパの新しい科学・技術上の知識をもたらしました。
その頃、義父玄真は西洋薬学を紹介する大著『新訂増補和蘭薬鏡』と『遠西医方名物考』に取り組んでおり、榕庵はこれらの完成にも尽力しました。
蘭学を深める中で、榕庵は植物学という学問を知ります。
彼は、植物学の考え方を広めるために経文の形式を取った『菩多尼訶経』を書き、さらに本格的な植物学書『理学入門植学啓原』を書きました。これらが日本で初めての植物学の書物でした。
また榕庵は、医学・薬学を学んでいくうちに化学にも取り組むことになります。
彼が著した『舎密開宗』は、イギリス人ヘンリーの著作を元に、多くの書物を参考にして、独自の解釈を加えてまとめたものです。
これが日本で初めての化学についての書物でした。当時は「化学」という言葉もまだありませんでした。
榕庵が工夫した「元素」「成分」「水素」などの用語が数多く今日でも使用されています。
榕庵は1846年に48歳で亡くなりました。
榕庵は、植物学及び化学の祖として、日本科学史上に大きな足跡を残しています。
[岐阜県図書館所蔵 参考資料]
『日本の科学の夜明け』 道家達将 岩波書店 1979年
『シーボルトと宇田川榕庵』 高橋輝和 平凡社 2002年
[岐阜県図書館所蔵 著作]
『新訂増補和蘭薬鏡』 全18巻 文政11-[13]年
『遠西医方名物考』全36巻 文政5-8年
『舎密開宗』 全7編 天保8-弘化4年
『菩多尼訶経』 全1巻 昭和40年 復刻版
『植学啓原』 全3巻 天保8年
(岐阜県図書館 稲垣記)